【植物理解6】人はもっと多種類の食べ物を食べていたが農業の発展がそれを奪ってしまった.
この記事のポイント
  • 250年前は,現在の3倍もの植物種を食べていた!かつてはもっと!
  • 社会が発展し,便利になればなるほど,食の多様性は縮小していく.
  • 野草には食べられるものがいっぱい.

けんゆー

人間の介入による食の影響って大きいよね!


こんにちは.けんゆー(@kenyu0501_)です.

本日お話するテーマは「人はかつて多種類のものを食べていたが,農業の発展とともにグッとその数が減った」というお話をさせていただきたいと思います.
初めに言っておきますが,このことが悪いというわけではなく,歴史がそうである!というだけなので,そういった事実の上で僕たちの食が有るんだなと感じてくれたら良いなと思います.
本日もよろしくお願いいたします.

かつて人は多種類のものを口にしてた

時をちょっとだけ遡ります.
十八世紀の頃,250年前くらいですね.
当時,日本でもヨーロッパでもそうですが,手に入る食用植物の総量は,今よりもずっと少なかったのにも関わらず,日常的に食べる植物種の数が今日の3倍だったと言われます.

けんゆー

びっくりする事実!!


流通がしっかりと機能していない時代,スーパーマーケットが全くない時代の方が,人は沢山の植物種を口にしていたわけです.
それよりも古い時代には,いうまでもなく,もっともっと沢山の植物種を食べていたわけです.

驚きですよね.
ふと散歩をするとそこらへ生えている野草は実は食べられるものばかりなのですね.
例えば,カラスノエンドウ,濃いピンク色の花をつけるマメ科の植物ですね.若葉は美味しく食べられます.
シロツメクサ,白い球状の花をつけます.クローバーなんて言われることもありますが,食べられますね.
ちなみに,かつて江戸時代にオランダから入ったものですが,当時の贈り物の中の梱包材として詰めていたようですね.
そこから,シロツメクサとなりました.
他にもよく食べられるのは,イヌビユやカタバミ,ナズナとか,ペンペングサなんて言われるくらいどこにでも生えているものですね.

これら紹介したものは全て,沖縄には生えていますが,沖縄の野草で愛されているのはヨモギですかね.
正式には,ニシヨモギと言いますが,沖縄ではフーチバーとも言われますね.フーチバージューシーは馴染み深かったり,またはヤギ汁や沖縄そばに入れたりしますね.

けんゆー

ヨモギは僕らの畑にもたくさん自生しているよ!

しかし,農業という産業が大きくなればなるほど,もっというと,インフラやスーパーマーケットなどが充実してきて,街が大きくなればなるほど,人間が口の中に入れる食の種類というのは,かなり減っていくのでありますね.

農業が始まってから減り出す...

農業が始まったのは約1万2千年前だと言われています.
土地を耕すということを初めて,今僕たちが食べている野菜と人類は共進化してきたわけでありますが,
実は,人間のより都合の良いものに改良されてきて,種は徐々に減っていると言われております.

食の多様性に関しては,ここ一千年で,徐々に徐々に低下し,さらにここ100年で急速に激減したと言います.
今日,私たち人類の摂取カロリーの60%はたった3種類の食物によって賄われております.コムギトウモロコシ,そしてお米ですね.

けんゆー

日本人はコメやパンをよく食べるね

人間にとっては,自分たちの生存がわずか3種類の作物によって支えられているということは,若干危険なような気もしますね.
コメやコムギが何らかの病気にかかってしまったらどうするんだろう.
この前,関西でお米の無農薬栽培をしている農家さんにお話をしたら,今はウンカ(害虫)が大量発生して困っていると聞きましたし,
また,害虫だけではなく,いもち病などのような菌による病気もありますね.

けんゆー

偏った作物に頼った食生活の弊害はいつか来るだろうね!

自然というのは,常に新しいものが誕生しますから,新しいパイナップルができても,新しいアボカドができてもそんなに驚きませんね.
コロナウイルス,ウイルスだって,新型ができますよね.

農業の誕生以降,人類は自らに都合の良い植物を選んできた歴史がありますから,いつかは大きな大事件が起こるでしょうね.
これは来年かもしれないですし,10年後かもしれない,はたまた,100年後かもしれません.
便利を突き詰めていくと,どこかでやっぱりその代償を払わざるを得ないような気もしております.

湿っぽい話になってしまいましたが,やっぱり事実として,人間が農業を始め,そして街が発達すればするほど,人間の口に入る植物の数は減っていくという事実があるのですね.品種改良で,新しいものはできますが,その裏側では,何かが忘れ去られる.そして新しくできたものは,人間の舌に合うような,人間の都合による作物なのです.

もはや現代人の「歩くという行為」は大体の場合,場所を移動するという目的の手段になっているのですが,

最近,野草の本を読んでていて,すごく想ったことが,「あぁ,昔の人は,歩くという行為は生きることだったんだな」としみじみ思いますね.
現代の発達した街,スーパーには毎日ならぶ人参やキャベツやジャガイモ,彼らの便利さが,私たち現代の頭の中から多くの食の多様性を奪っていったのだなとつくづく思う今日この頃でした.

ということで本日のお話はここまで!

youtubeにも毎朝ラジオをあげているので,ぜひどうぞ!